WORLD MASTERPIECES ATLAS
まず、一番大事な前提から話します。画面中央のあの人物は、叫んでいません。耳を両手で塞ぎ、口を開いている——これは「聞いている」ポーズです。ムンク自身が日記にこう記した。「無限の叫びが自然を貫いていく」。叫んでいるのは空であり、大地であり、夕焼けそのもの。あの人物は、自然の轟音を全身で受け取っている存在なのです。
この一点を知っているかどうかで、見え方がまるで変わります。主人公が叫ぶ恐怖映画ではなく、世界の圧力に押しつぶされそうになる人間の孤独を描いた絵です。表現主義——「内面の感情のために現実をゆがめる」という20世紀美術の核心を、ムンクは1893年の時点ですでに到達していた。
さらに注目すべきは、この絵が5バージョン存在する(諸説あり)という事実です。パステル・テンペラ・油彩・版画など、素材を変えながら何十年にもわたり繰り返し描かれた。ムンクは橋の上での体験を、一枚では封じ込めることができなかった。その「描き続けた」という事実が、この絵の根の深さを物語っています。
描かれたのは1893年、ノルウェーのクリスチャニア(現オスロ)。しかし、その源泉はその前年にある。ムンクは日記に体験を記した。1892年1月のこととされる一節です。
「太陽が沈んだ。空が突然血のように赤くなった。友人たちは先へ歩いていった。私だけが残り、不安に震えながら、自然を貫く無限の叫びを感じた」
橋はオスロ郊外のエーケベルクの坂道。友人たちと夕暮れを歩いていたムンクは、そこで立ち止まった。空が異様な赤——それはただの夕焼けではなかった。世界から切り離されたような感覚、地面が揺れるような不安。その体験が、あの画面に凝縮されています。
ムンクは1863年、ノルウェーの農村に生まれました。幼い頃に母を結核で失い、姉も同じ病で早世した。肉親の死と自身の病弱——「病・狂気・死は私の揺り籠を囲む黒い天使だった」とムンク自身は後に語っています(ムンクの日記等)。その実存的な不安が、この絵の背景にある。
『叫び』は世界でもっとも有名な絵のひとつであるがゆえに、繰り返し狙われました。1994年、オスロ国立美術館から白昼堂々と盗まれました。犯人は開館前に梯子で窓から侵入し、絵を持ち去って走り去った。所要時間わずか数十秒。犯行後に残されたメモには「貧弱なセキュリティに感謝」と書いてあったと伝えられています。
絵は3カ月後、ノルウェー南部の海岸沿いの場所で回収されました。損傷はわずかで、美術館に戻ることができた。しかし物語はそこで終わりません。
2004年、今度はムンク美術館から武装強盗が侵入。観光客が見守る中、複数の男が館内に押し入り、《叫び》(油彩版)とほか1点を奪って逃走しました。この盗難は長期化し、2006年にようやく回収されました。絵は傷ついていましたが、修復ののちに公開を再開しました。
二度盗まれ、二度戻ってきた。そのたびにニュースが世界を駆けめぐり、「叫び」は絵画の枠を超えた現代の記号になっていきました。オスロの国立美術館は2022年に新館に移転し、パステル版の《叫び》は今そこに展示されています。
では、ムンクが見た「血のように赤い空」は何だったのか。一つの説が科学者たちの間で長く議論されています。1883年、インドネシアのクラカタウ火山が大噴火しました。その規模は近代史上最大級で、噴出した火山灰は成層圏に達し、地球規模で大気を漂いました。
その影響で、1883年から数年間にわたってヨーロッパの夕焼けが異様な赤や紫に染まったという記録が残っています。ターナーの晩年の空に似た色彩が、実際に北欧の空に現れていた可能性がある。ムンクが1892年に見た血の夕焼けが、10年近く後のクラカタウの残光だったとすれば——。
研究者たちはムンクの日記の記述や絵の色彩の記録と、気象・大気データの照合を続けています。ただしこれは現在も「諸説あり」の段階で、確証があるわけではありません。ムンクが単に激しい感情体験として赤い空を感じたのか、それとも実際に火山灰由来の異常な夕焼けを目撃したのか——その問いは、科学と美術史の境界にいまも置かれています。
いずれにせよ、あの橋の上で立ち止まった男が感じた不安は本物でした。自然の声を聞き、絵に閉じ込め、何十年もかけて描き続けた。「叫び」は一枚の絵ではなく、実存そのものの記号になった——そういうことなのだと思います。
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