『接吻』(1907-1908年)グスタフ・クリムト — パブリックドメイン
『接吻』(1907-1908年)/油彩・金箔・カンヴァス/180×180 cm
グスタフ・クリムト PUBLIC DOMAIN
画像出典:Wikimedia Commons / 原資料:Google Arts & Culture(ベルヴェデーレ宮殿美術館所蔵)

接吻

グスタフ・クリムト
制作年 1907-1908年
技法 油彩・金箔・カンヴァス
サイズ 180×180 cm
派閥 ウィーン分離派
"猥褻と呼ばれた翌日、国宝になった"
🎧 AUDIO 接吻を3分で語る 約3分・山田五郎風
※ 音声ファイルは準備中
🎬 GALLERY GROOVE 接吻を歌で観る 画廊グルーヴ・約3分半
名画を講談ヒップホップで解説する GALLERY GROOVE シリーズ
1

完成を待たずに、25,000クローネ

1907年、ウィーン。クリムトが展示中のキャンバスに筆を入れていたとき、オーストリア政府の役人が現れ、完成も待たずに25,000クローネを置いていった(通説)。国家がこれほど即断した名画は珍しい。

「猥褻だ」という批判の声はあった。抱き合う男女、露わな首筋、金箔の花びらの下に溶けていく二つの体。帝政末期のウィーンで、その官能性は一部の目には危険に映った。しかし「国宝だ」という声がそれを上回った。批判と賞賛が同時に爆発した瞬間、この絵の運命が決まった。

以来、『接吻』はベルヴェデーレ宮殿美術館の壁を離れたことがない。オーストリアは法律でこの絵の国外持ち出しを禁じ、値段もつけていない。値段のつけられないものが、本当の意味で国宝になる——その逆説を、この絵は体現している。

2

ウィーン分離派と、黄金様式の頂点

クリムトがこの絵を描いたのは、ウィーン分離派(セセッション)設立から10年後の頂点期だ。1897年、クリムトは保守的なウィーン芸術家協会に反旗を翻し、若い芸術家たちと「分離派」を結成した。モットーは「時代には芸術を、芸術には自由を」。帝国のアカデミーに挑んだ宣言から、10年でこの絵が生まれた。

『接吻』は「黄金様式(ゴールデン・スタイル)」の代表作だ。金泥と金箔を多用した装飾的な様式で、クリムトが1900年代前半に集中的に取り組んだ。男性の外套は幾何学模様、女性のドレスは花と曲線——ジェンダーの対比が金の中に埋め込まれている。二人を包む正方形180×180cmのカンヴァスは、それ自体が一つの宇宙だ。

「時代には芸術を、芸術には自由を」——ウィーン分離派(セセッション)のモットー、1897年

絵全体が金に包まれているが、二人の顔と手だけは自然な肌色のままだ。金は二人を世界から切り離すが、肌は二人を人間として残す。そのコントラストが、この絵を装飾画ではなく人間の絵にしている。

3

クリムトという人間、謎のままのモデル

グスタフ・クリムトは1862年、ウィーン郊外に生まれた。父は彫金師だった。10代で工芸学校に入り、天井画や劇場装飾の仕事で頭角を現した。ウィーン大学の天井画(のちに焼失)は「エロティックすぎる」と論争になり、注文料を返金して自分で引き取ったほど妥協しなかった。

生涯独身を貫きながら、長年の芸術的パートナーはエミーリエ・フレーゲ(ファッションデザイナー)だった。『接吻』のモデルが彼女だという説は根強いが、クリムト自身は生涯その答えを語らなかった。モデルについては「名もなきモデル女性説」も含め、諸説が今も論争中だ。

クリムトは1918年1月、55歳で脳梗塞により死去した。その年の秋にはスペイン風邪が世界を席巻し、愛弟子シーレも28歳で逝った。世紀末ウィーンの黄金期は、第一次世界大戦と疫病によって一気に幕を閉じた。クリムトが答えを持っていったモデルの謎は、金箔の花びらの下に永遠に眠っている。

4

ベルヴェデーレの番人、百年越えの光

『接吻』は現在、ベルヴェデーレ宮殿美術館(ウィーン)に展示されている。オーストリア政府が1908年に購入して以来、一度も別の場所に移ったことがない。国外持ち出しは法律で禁じられており、他館への貸し出しも行われていない。つまり、ウィーンに行かなければ本物に会えない。

正方形180×180cmの実物の前に立つと、絵は人間の体と同じスケールで迫ってくる。複製印刷では伝わらない金箔の立体感と光の揺らぎがある。美術館の照明が当たるたびに金が異なる顔を見せ、同じ角度から見ても昼と夕方とで表情が変わるという体験は、本物の前でしか得られない。

百年を超えてもモデルは謎のまま、評価の逆転(猥褻→国宝)もそのまま、国外に出たことも一度もない——それだけの制約を持ちながら、この絵は世界で最も知名度の高い絵画の一つであり続けている。縛られているものが、最も強い光を放つこともある。

👥 クリムトの交友・影響関係
共同設立 芸術的同志 師匠 モデル説(諸説) クリムト 1862-1918 分離派 (1897年設立) E・シーレ (後継の天才) マティス (同時代の先達) E・フレーゲ (生涯のパートナー)
ウィーン分離派(セセッション):1897年にクリムトが共同設立した芸術運動。帝国アカデミーへの反旗。
エゴン・シーレ:クリムトが見出した後継の天才。1918年にスペイン風邪で28歳没。
エミーリエ・フレーゲ:クリムトの長年の芸術的・精神的パートナー。ファッションデザイナー。『接吻』モデル説あり(諸説)。
アンリ・マティス:同時代の前衛芸術家。パリから装飾性の革新を競った同志的存在。
ベルヴェデーレ宮殿美術館
ÖSTERREICHISCHE GALERIE BELVEDERE
所在地
オーストリア ウィーン
Prinz Eugen-Straße 27, 1030 Wien
展示場所
上宮(Oberes Belvedere)第1室(クリムトの間)
開館時間
9:00 - 18:00(年中無休、特別展を除く)
入館料
一般 €16前後(時期により変動、オンライン予約推奨)
※19歳未満無料
アクセス
ウィーン中央駅から路面電車(D線)で約10分
📍
地図を表示する
※ 最新情報は公式サイト(belvedere.at)でご確認ください
🗺 ウィーン・世紀末芸術1日コース
ベルヴェデーレを核に、分離派の遺産を巡る1日プラン(所要約8時間)
1
9:00 ベルヴェデーレ上宮へ
開館直後が空いている。クリムトの間は入ってすぐ右側。
2
9:10 『接吻』の前で20分
180×180cmの実物を引きと寄りで観察。金箔の立体感は本物でないとわからない。
3
10:30 ベルヴェデーレ庭園を散歩
バロック式庭園。ウィーン市街とアルプスの遠景が美しい。
4
12:00 昼食:ウィーン料理
ウィーナーシュニッツェルとハウスワインが鉄板。
5
14:00 セセッション館(分離派会館)
「Ver Sacrum(聖なる春)」の展示施設。地下にクリムトのベートーベン・フリーズ原作がある。
6
16:00 レオポルド美術館でシーレを観る
クリムトが見出した後継者エゴン・シーレの世界最大コレクション。

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