WORLD MASTERPIECES ATLAS
『星月夜』は、精神科の閉じた病室から描かれた絵です。ここ、結構大事な前提です。でも、絵そのものには閉塞感がまったくない。むしろ世界で最も開かれた夜の空が、ここに描かれている。
この逆説こそが、この絵の本当の意味だと私は思います。心が最も追い詰められた時、人間は外側の世界が見えなくなる代わりに、内側に宇宙を見つけることがある。ゴッホが私たちに伝えているのは、絶望の底にも、あれほど美しい光があるということです。
渦巻く夜空、燃え立つ糸杉、眠る村、光る星と月。全てが一つのリズムで動いている。このリズムを感じ取るために、まず10秒、黙って絵を眺めてみてください。言葉の前に、あなたの呼吸が絵と合う瞬間があります。
1889年というのは、ヨーロッパにとってかなり特別な年です。パリではエッフェル塔が完成して、第4回万国博覧会が盛大に開かれていた。鉄と機械の時代が、高さ300メートルの鉄塔で空に向かって宣言されたわけです。近代化の真ん中にある年。
一方で美術の世界では、写真技術の普及により「見たまま描く」という絵画の役割が揺らいでいました。印象派はすでに成熟していて、若手はもう一歩先を探している。モネもルノワールもベテランの仕事を続けていたけれど、セザンヌやゴッホやゴーギャンが「じゃあ画家にしか描けないものは何なんだ」と自問していた。答えの一つが、目の前の景色ではなく、心の中の景色を描くことでした。
ゴッホはその前年、1888年の冬にアルルで事件を起こしています。ゴーギャンと2ヶ月ほど共同生活をしたあげく、大喧嘩。自分の耳たぶを剃刀で切り落として娼婦に渡す、という今でも十分にショッキングな事件です。翌1889年5月、ゴッホは自分から進んでサン=レミの精神療養院に入院しました。入院先は元修道院。鉄格子のはまった病室が、彼のアトリエになった。
「夜は昼よりもずっと色彩豊かだ」——ゴッホが弟テオに宛てた手紙より
『星月夜』は、1889年6月、その病室で描かれました。窓から見えたのは、サン=レミ村の東の空。ただしこの絵、実は見たままではありません。中央の教会は実在しないし、星の配置も記憶と想像の再構成です。ゴッホは、朝焼け前の空を何度も観察した記憶を、昼間アトリエで再構成して描いていました。
ゴッホほど生前に売れなかった天才も珍しいです。生涯に描いた油彩は約860点。そのうち公に販売された油彩は「赤い葡萄畑」1点だけ、と言われています。値段は400フランで、今の感覚で言うと20万円くらい。37年の生涯でまともに売れたのがこの1点——商売としては完全に失敗した人生です。
でもゴッホは食うに困らなかった。なぜなら弟テオが画商をやっていて、毎月仕送りをしていたから。兄弟の手紙は650通以上残っていて、これが今日のゴッホ研究の最大の宝物になっています。手紙にはもう、弱音から夢から絵具の注文から、全部書いてある。「画材が足りない」「頭が割れそうに痛い」「君の支えがなかったら私は生きていない」——こういう生々しい告白が、650通。
ゴッホが画家を志したのは27歳です。これが意外と遅い。それまでは画商の見習い、学校の教師、伝道師など色々やって、全部うまくいかなかった。宗教に熱中しすぎて牧師試験に落ち、ベルギーの炭鉱町で貧しい労働者と暮らしながら自費で聖書を配ったりもしていた。「極端な人」としか言いようがない。その情熱の行き場がなくなった時、ようやく絵に辿り着いた。
画家になってから亡くなるまで、わずか10年。その間に約2,100点の作品を残しています。年200点以上のペース。狂気というより、ほとんど取り憑かれた集中力です。一日に何枚も描く日があった。絵具は塗るというより、ほとんどチューブから直接キャンバスに押し出していた。その厚塗りは今見ても、絵具そのものが光っているように見えます。
『星月夜』を描いた時、ゴッホは36歳。サン=レミの病室で、夜は眠れず、朝も眠れず、時々発作を起こしていました。発作が来ると筆が持てなくなる。描ける時期は限られていて、その期間に彼は取り憑かれたように描いた。療養院での1年間で約150点。『星月夜』はそのうちの一枚です。
1890年5月、ゴッホはサン=レミを退院しました。パリ近郊のオーヴェル=シュル=オワーズに移り、ガシェ医師の世話を受けながら最後の約70日間で約75点の油彩と多数の素描を残したと言われます。ほぼ毎日1枚というハイペース。しかし1890年7月27日、麦畑で自分の胸にピストルを撃ち、2日後に弟テオに看取られながら亡くなったと伝えられます。享年37歳。
「悲しみは永遠に続く」——ゴッホの最期の言葉とされる
衝撃の事実はここから。兄の死から半年後、弟テオも33歳で亡くなります(1857年5月生・1891年1月没)。兄を失った心労から体を壊し、梅毒も進行していたと言われます。兄弟は現在、オーヴェルの墓地に並んで眠っています。二人の墓は蔦で覆われ、今もゴッホファンの巡礼地です。
ゴッホを世界的画家にしたのは、意外にもテオの妻ヨハンナでした。結婚してまだ2年、息子を産んだばかりで2人の家族を失った彼女は、膨大な兄弟の手紙と絵を全部整理し、展覧会を開き、手紙を本として出版した。1900年代初頭、ゴッホの名声は彼女の手で作られたと言っても過言ではありません。
『星月夜』そのものの運命はどうなったか。ゴッホの死後、しばらくは家族や知人の間を転々とし、何度も所有者が変わりました。1941年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が購入。購入価格は当時で約8万ドル、今の感覚で数億円。以来80年以上、MoMAの4階に飾られ続けています。
現在、年間数百万人の観客がこの絵の前に立ちます。ゴッホが生涯で1枚しか売れなかった国の、すぐ隣の国の美術館で、彼の絵は数十億ドルの価値を持っている。あの病室の鉄格子の向こうに広がっていた空は、今や人類の共有財産になりました。
もしあなたがニューヨークに行くことがあったら、MoMAの4階へ行ってみてください。本物の前に立つと、印刷物では絶対にわからないことがあります。絵具の厚み、筆跡の勢い、キャンバスの織り目まで、136年前にゴッホが手を動かしたその痕跡が、そのままそこにあります。
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