『モナ・リザ』(1503-1519年頃)レオナルド・ダ・ヴィンチ — パブリックドメイン
『モナ・リザ』(1503-1519年頃)/ポプラ材に油彩/77 × 53 cm
レオナルド・ダ・ヴィンチ PUBLIC DOMAIN
画像出典:Wikimedia Commons / 原資料:C2RMF(フランス美術館研究・修復センター)

モナ・リザ

レオナルド・ダ・ヴィンチ
制作年 1503年頃〜
技法 ポプラ材に油彩
サイズ 77 × 53 cm
派閥 ルネサンス
"世界で最も知られた微笑"
🎧 AUDIO モナ・リザを3分で語る 約3分・山田五郎風
※ 音声ファイルは準備中
🎬 GALLERY GROOVE モナ・リザを歌で観る 画廊グルーヴ・約3分
名画を講談ヒップホップで解説する GALLERY GROOVE シリーズ
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なぜ今、この絵を見るべきか

モナ・リザがなぜこれほど有名なのか——実はこの問い自体が、この絵の秘密を解く鍵です。美術史家の間でも「技術的にはもっと優れた作品がある」と言われることがあります。それでも世界中の人がパリに行ったらまず会いに行く。

その理由の一つは、この微笑の「どこから見ても目が合う」という現象です。ダ・ヴィンチが開発した「スフマート」という、輪郭をぼかして霞のように色を重ねる技法。この技法で描かれた口元と目元は、見る角度によって表情が変わるように感じられる。500年前の絵なのに、まだ誰も正確には「何を考えているか」言い当てられない。

10秒、黙って正面から見てください。それから少し右に寄ってみる。表情が変わった気がしたら、それがダ・ヴィンチがあなたに仕掛けた罠です。

2

1503年、世界はどうなっていたか

モナ・リザが描かれ始めたのは1503年頃のフィレンツェと言われています。ルネサンス最盛期、メディチ家は一時追放中で共和制、ミケランジェロが『ダビデ像』を彫っていた同じ街、同じ時期です。

当時のイタリアは都市国家の連立状態。戦争が頻繁にあり、画家たちは傭兵隊長の肖像や宗教画で生計を立てていました。ダ・ヴィンチはこの時すでに50歳を超えた「万能の天才」として知られた有名人。絵画だけでなく、解剖学、工学、軍事技術、水利、植物学まで手を出す——しかも作品の完成度より観察に夢中で、途中で放り出す癖があった。

「どこへ行っても『未完成』と言われる男だった」——当時の評伝より(ヴァザーリの記述を要約)

モデルはフィレンツェの絹商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻リザ・ゲラルディーニとされています(諸説あり)。「モナ」は「マドンナ(奥方)」の略で、つまり「リザ夫人」という意味。フランス語圏では「ラ・ジョコンド」と呼ばれ、これは「ジョコンド家の女」の意。

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ダ・ヴィンチという人間

ダ・ヴィンチは1452年4月、フィレンツェ郊外ヴィンチ村で庶出子として生まれました。父は公証人、母は農民の女性。正式な学校教育を受けず、独学で文字を学び、しかも左利きで鏡文字を書いた

14歳で画家ヴェロッキオの工房に入り、そこでボッティチェリやペルジーノと同窓生になります。師ヴェロッキオはダ・ヴィンチの絵を見て「もう筆を折る」と言ったという有名な逸話がありますが、これは後世の伝説とも言われ、実際の真偽は不明です。

ダ・ヴィンチの人生最大の特徴は「完成させない」こと。現存する絵画はわずか20点弱しか確認されていません。注文を受けても、途中で解剖に夢中になったり、飛行機械の設計を始めたりして、絵を仕上げないまま納期が過ぎる。依頼主との訴訟沙汰もありました。

しかしモナ・リザだけは違った。1503年頃に描き始めてから、1519年に亡くなるまで、16年間ずっと手を入れ続けたと言われています。彼は晩年フランス王フランソワ1世の招きでフランスに移住し、この絵を持っていった。死の床にもこの絵があった。

なぜ手放さなかったのか。依頼主に納品しなかった理由は、今もわからない。ダ・ヴィンチの「解けなかった謎」として、この絵は彼の棺と共にフランスに渡ったのです。

4

絵のその後、数奇な運命

ダ・ヴィンチの死後、モナ・リザはフランス王フランソワ1世が購入したとされ、以降ずっとフランス王室のコレクションに。フォンテーヌブロー、ヴェルサイユ、そしてナポレオンの寝室まで旅をしました。1804年、ルーヴル美術館が開館するとここに移され、しばらくは専門家の間で評価される一枚に留まっていました。

運命が変わったのは1911年8月21日。ルーヴル美術館の警備員が、モナ・リザが展示室から消えていることに気づいた。犯人はヴィンチェンツォ・ペルッジャというイタリア人の元ルーヴル職員。「イタリアの絵はイタリアに返すべきだ」という愛国的動機で、作業服の下に隠して持ち出したのです。

「イタリアの絵はイタリアの土へ」——犯人ペルッジャの供述より

盗難事件は世界中で報道され、逆説的にこの絵を超有名にしました。2年後の1913年、ペルッジャはフィレンツェの画商に売却を試みて逮捕。絵はイタリア国内をツアー展示された後、フランスに返還されました。この事件がなければ、モナ・リザは今の知名度にならなかったとも言われます。

その後も、1956年に酸や石が投げつけられる事件、2009年にロシア人女性がマグカップを投げつける事件など、受難は続きました。現在は防弾ガラスのケースに収められ、ルーヴル美術館「国家の間(Salle des Etats)」の壁に単独で展示されています。年間訪問者は約1000万人(ルーヴル全体)、その約8割が「モナ・リザを見るため」に来るとも言われます。

もしパリに行くなら、朝一番の開館直後を狙ってください。混雑を避けられれば、防弾ガラスの反射越しであっても、500年の時を超えた視線と向き合うことができます。

👥 ダ・ヴィンチの交友関係
少年期の師 ライバル 弟子 最後の庇護者 ダ・ヴィンチ 1452-1519 ヴェロッキオ (彫刻・絵画) ミケランジェロ (23歳年下) サライ (弟子・養子) フランソワ1世 (フランス王)
ヴェロッキオ:14歳から弟子入りしたフィレンツェの工房の師。
ミケランジェロ:23歳年下の天才。フィレンツェで激しいライバル関係。
サライ:10歳で弟子入りし、以後30年間ダ・ヴィンチの生活を共にした弟子。
フランソワ1世:晩年のダ・ヴィンチをフランスに招いた王。モナ・リザの最初の購入者。
ルーヴル美術館
MUSÉE DU LOUVRE
所在地
フランス パリ
Rue de Rivoli, 75001 Paris
展示場所
ドゥノン翼 1階 Salle des Etats(国家の間)
開館時間
9:00 - 18:00(火曜休館/金曜は21:45まで)
入館料
一般 €22(オンライン予約推奨)
※18歳未満無料、EU市民26歳未満無料
最寄り駅
メトロ1・7号線 Palais Royal - Musée du Louvre 駅
📍
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※ 最新情報は公式サイト(louvre.fr)でご確認ください
🗺 パリ半日ルネサンス・コース
ルーヴルを核に、セーヌ左岸まで歩く半日プラン(徒歩中心・所要約6時間)
1
8:30 ピラミッド前で開館待ち
開館直後こそモナ・リザの前が最も空く。列に並ぶ価値あり。
2
9:00 ドゥノン翼へ直行
案内板に従い「モナ・リザ」標識を追う。階段を2つ上る。
3
9:15 モナ・リザの前に15分立つ
左右に動いて目線の変化を観察。正面と斜めで別の絵に見える。
4
10:00 ダ・ヴィンチの他作品も鑑賞
『岩窟の聖母』『洗礼者ヨハネ』が同じ翼に。
5
12:30 ルーヴルを出て、チュイルリー公園へ
公園を突っ切って、コンコルド広場まで散歩。
6
14:00 セーヌ川を渡りオルセーへ
印象派で頭を切り替える。徒歩15分。

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